「違くて」と「different」と同調圧力 〜ことばと国民性の関係〜

「違くて」は「間違っている」のか

赤ペンで直される「違くて」

「違くて」という表現が頻繁に使われるようになってしばらく経つ。 若い人たちにはすっかり定着しているようだ。

それなのに作文に書いたら赤ペンで×を入れられ、その横に「違っていて」と直されることを不満に思う人も少なくないのではないだろうか。(この「若い人」がいったいどのあたりまでを指すのかについてははっきりしない。「違くて」の年齢上限はどこだろう。我こそはという人は教えていただきたい。)

実際、10年ぐらい前は私も「その表現はよろしくない、改めるべきだ」と思っていた。

動詞なのに形容詞的な意味を持つ「違う」

でもいつだったか、「違う」は動詞だけど、「different」は形容詞だということに気がついた。

そうか、「違う」は動作を表すわけではなくて、「異なっている」という状態を表す言葉だから、意味の上では形容詞に近い。

それが「違くて」と活用するのであれば、形容詞の活用に則っているわけだ。つまり「白い」が「白くて」になるのと同じ

他にどう活用してるんだっけ。ふむふむ「違かったら」も使われてるか。なるほど、これは道理だ。「白かったら」と同じだから。

「違い」という終止形はまだ使われていないけれど、これは名詞と同じ形になってしまうから使いづらいのだろうと思う。連体形も同様。

意味の上では形容詞なのだからこれは当然の帰結ではないかと思えてきた。ただ、名詞「違い」の存在が完全な形容詞化を阻んでいるようだ。
(この辺の研究はおそらくたくさんの方がなさっていると思うけど、全く論文などを読んでいないので何か齟齬があれば教えていただきたい)

「違う」に含まれる意味

これについて考えていると、「違う」と「間違う」がおなじ「違う」を含んでいることについて、これはまずいんじゃないかと今更ながら気がついた。誰にとってまずいか? 日本語話者にとってだ。

英語との比較

英語と比較してみると、
「違う」を表す英語はdifferent、あるいはwrongとなり、いずれも形容詞
「間違う」はmistakeあるいはfailとなり、動詞

前述したが、「違う」は状態を表すのであるから、異なっているという状態だけを表すはずである。

  「これ、書いてあること違うよ」
  「これ、書いてあること間違ってるよ

という表現に「間違う」と同じ「違う」が含まれていることで、私たち日本語話者は「異なっている」ことを「mistake」のニュアンスとともに捉えてしまっているのではないだろうか。

(ここまで書いて気がついた。これ、日本語教育の人ならいつも教えてる内容だろうな。私も日本語教育能力検定に合格しているけど、受験したのはもう20年以上前だし、留学生に日本語教えてたのも10年以上前だ。「今更気づいたの?」と思われても勘弁してほしい……)

とにかく、「違う」には「different」の意味も「wrong」の意味もあるから、は「書いてあることが他と違う(ただ単純に異なっている)」という読み方もできれば「書いてあることが正しくない」という読み方もできる。
それに対してBの「間違う」の場合は、「正しくない(成功ではない)」という意味合いだけを持つことになる。

「違う」は「異なっている」でもあり、「正しくない」でもある

問題はこれが混同されやすいことだ。

つまり、「違う」には「異なっている」「正しくない」などの意味が混在していて、そのため
「あの人の意見は違う」と言った場合、話し手の意図するところが
「あの人の意見は私とは違う」なのか、
「あの人の意見は間違っている」なのかがわかりにくくなってしまう

こういうことの積み重ねによって、我々日本語を使う民は、「違うこと(異なること)」=「間違い(正しくない)」だと無意識化で認識してしまっているのではないかと思うのだ。

ここで同調圧力

異なることを恐れる国民性

日本人は異なることを恐れると言われる。
自分の意見を言うのが下手だとも。

私はずっとこれを教育におけるトレーニングが不足しているためだと考えていた。もちろんそれがいちばん大きな原因だと思うが、この「違う」が持つ言語的特性も関係しているんじゃないかと思うようになってきた。

日々使っている言語が「違い」=「間違い」だと思ってしまっていたら、そうなるのも肯けるように思うのだ。「他と違っていること」が「正しくない」と私たちには知らず知らずのうちに刷り込まれてしまっているのではないか

そういうわけで、まずは差異があることについて「違う」と表現するのをなるべくやめてみてはどうだろう。「異なっている」「差異がある」「別だ」ぐらいに言い換えてみればいい。

「あの人の意見は異なっている」

そう言えば、そこに「正しくない」というニュアンスはほぼない。

「違くて」はdifferentのみを表すので誤解がない

 ところで「あの人の意見は違くて」はどうだろう。

「違くて」となるのはほぼdifferentの意味合いの時であるように思う。形容詞型だから。これは残していってもいいのではないかしら。どう?

そういうわけで、私は「違って」の「違くて」への形容詞化には割と賛成のスタンス。言葉は変わるものだから、いつまでもdifference=mistakeであってはならないと思うのだ。前向きな日本語を作っていったらいいんじゃないかな。

ね、若者の皆さん。

ところで「異なる」も動詞じゃないかという意見が聞こえてきそうだけど、これは「異なり」という形容動詞が元だから、形容動詞が動詞化した例だよね。逆だった!

ややこしいね!

タイトルとURLをコピーしました