教員の離職理由とは?
25年ほど私立高校で教員をやりました。そのうち産休・育休・非常勤・仮担任を差し引くと、教諭として担任をしたのは17年ぐらいになるでしょうか。
その間、新しい教員が入って、そして辞めていきました。私立高校なので異動ではなく、退職。その後公立の先生になったり、故郷に帰ったりとさまざまでしたが、辞めていくのは若い人ばかりだなあ、とぼんやり考えていました。
自分の100%をどう割り振るか
割と新しいものを吸収するタイプだと自負していますし、部活もガンガンやっていました。それでも自分の子が生まれると、自分の持っている100%を家と学校で分散するのが難しくなりました。
いままでできていたレベルの仕事ができない、目の前の生徒に全力で向き合えていないと感じ、これではだめだと退職を決意。
どちらも全力でやろうとしても無理でしたし、それをやろうとすると心が壊れそうになっていくのがわかりました。
職場の将来を信じられるか
……と、ここまでが表向きの退職理由。
本心は、それに加えて
このまま勤め続けたら、あの先生が教頭になってしまう…それは絶対に嫌だ
このまま勤め続けたら、こどもの受験先がこの学校になってしまう……なるべくならこの学校に入れたくない
というものでした。愛校心のカケラもないな。
つまり、職場の数年先の状況を信頼できなくなっていたんですね。
離職理由って色々ありますが、将来性を感じられないということも大きな理由です。
公立学校だと異動に賭けることもできますが、私立はほぼ入れ替わりがありませんから、将来性が感じられなかったら辞めるしかないわけです。
一般企業のトレーナーに転職して得た気づき
その後子供に手がかからなくなってきたこともあり、正社員としてもういちど働きたいと思うようになりました。そこで出会ったのが現在の社員トレーナー職。
そして、トレーナーとして勉強すればするほど、「学校って先生を大事にしないところだな…」と感じることが多くなりました。
ナベブタ式の弊害
学校の先生って、「ナベブタ式」だとよく言われます。
校長がいて、教頭がいて、あとの先生たちは全員ほぼ同じ立場の教諭。
もちろん校務分掌の上で部長・主任はいますが、一般企業ほどの権限はありません。というか、権限を遂行していないのかも。
そして何より、スキルトレーニングから考えると、「指導者」として先輩や上司が機能していないのです。
指導する対象はまず「児童・生徒」。
新しい指導法はいつも「児童・生徒」のためのもの。
そして、後輩の先生を指導するときはなぜか「私はこうやってきた」しかないのです。
子ども優先で大人が後回し
学校の先生は勉強が嫌いじゃない。
「指導法」について勉強する機会はたくさんあります。
(とはいえ、アクティブラーニングが流行り出したころはがっくりしましたね。当たり前のことにわざわざカタカナの名前を付けて新しいことのように言うなんて…経験させ、アウトプットさせながら授業するのなんて当然のことだと思っていたので……しかしこれは別の話)
でもそれは「生徒にどう教えるか」であって、「後輩をどう一人前にしていくか」「部下をどう育てるか」は二の次になってしまっています。
もちろん、学校は児童生徒にとっての学びの場です。
だけど、言葉が通じて基礎知識のある大人を育てられないのに、子どもを育てられるわけがない。
逆に子どもしか育てられないとしたら、その教え方はおかしい。
そう思うようになったのです。
心理的安全性を職員室へ
心理的安全性とは何か
近年、チームビルディングで主流になっている「心理的安全性」という概念があります。
これは、「チームの中で対人関係におけるリスクをとっても大丈夫だ」というメンバーに共有される信念(ハーバード・ビジネス・スクールのエイミー・C・エドモンドソン教授が提唱)のこと。つまり、
- グループ全員が意見を持っている
- 自分の意見を表明でき、相手と違う意見も伝えられる
- 相手も違う意見を伝えられる
- 相手の違う意見を受け、合理的な話し合いができる
- 相手の意見を否定しても、対人関係が悪くならない
という状態が確立されているチームのことです。つまり、
心理的安全性が高い→お互いに意見を戦わせ、生産的で良い仕事をすることに注力できる。 心理的安全性が低い→「失敗すると罰を受ける」という不安やリスクがある。
ということです。
自己印象操作・4つの不安
心理的安全性が確立しないのには、4つの要因があるといいます。
- IGNORANT(無知だと思われる不安)
「何の話かよくわからないけど、質問したら無知だと思われるから黙っていよう」 - INCOMPETENT(無能だと思われる不安)
「周りの人に助けてもらいたいけど、こんなこともできないのかと言われそう」 - INTRUSIVE(邪魔をしていると思われる不安)
「いい案を思いついたけど、今やっていることを邪魔しているように思われたくないし…」 - NEGATIVE(ネガティブだと思われる不安)
「現在のやり方に否定的だと思われて目をつけられるのは嫌だな」
つまり、意見を言わないのは4つの不安因子のためであり、意見を言わない本人はやる気や能力がないのではなく、「自己防衛のために黙っている」ということ。
黙っていればやり過ごせるという環境
これは教室でよくみられる光景です。「黙っていればやり過ごせる」環境になってしまっているのです。
日本の教育では、なぜかそのほとんどの時間において、「黙っていることの行儀のよさ」を叩き込まれます。(おそらく小学校の3~4年生ぐらいから?)
そこで生まれるのが、
→「黙っている=真面目」という誤解
→「黙っていれば何とかなる」という思考放棄
学校の先生は良くも悪くも「学校が好きだったから学校に戻ってきた」わけですから、「行儀が悪いと叱られ続けて学校が嫌いになった」というタイプの人はまずいません。
つまり、「黙っている=真面目」という構図に不満や疑問がない人が多いのです。
そんな中、子どもたちに「積極的に意見を言いなさい」と指導するのですから、おかしな話です。
心理的安全性を高めるには
まず職員室でやれ
たぶん、「心理的安全性」という概念を知った教員は、まず
「おお、これはクラス経営に役立ちそうだな」
「クラスメート同士、いろんな考え方があるということを受け入れたらクラスの雰囲気もよくなる」
「いじめ防止につながりそうだ」
と思うでしょう。もちろんその通りです。クラス経営に積極的に活用すべきです。
でもね。その前にね。
まず職員室でやれよ!!!
ということなんです。
新人教育をうまくやるには、まず職場環境を整える必要があります。
誰でも、ギスギスした職場には長くいたくないでしょう。新人ならもっとそう思うでしょう。だけど、長く教員をしている人は「これが学校だ」と錯覚しがちです。
生徒にとって居心地の良い環境を作るには、教員のメンタルが安定していないといけません。自分の職場の居心地の良さについて、もっと工夫や改善をしても良いのではないかと思います。
「話を聞く」ことで関係性を築く
学校の先生は話し上手か聞き上手か、というと、明らかに話し上手が多いと思います。喋ることに抵抗があまりない。
だけどその反面、聞き下手も圧倒的に多い。
だって面接練習とかをやるんですよ。
聞き出すというより、「指導する」ことを考えながら聞いているんです。それが染みついているような気がします。
私もそうです。聞くのがとても下手です。だから意識してアクティブ・ラーニングを取り入れなければなりません。
昔「先生に相談したら、いつの間にか言いくるめられてる」と言われて、大反省したことがありました。それじゃ言いたいことも言えないよね。
でも、教員にはこのタイプがとても多いんじゃないかな。
自分の言葉に力があると思いすぎなんですよね。そんなに力はないっつの。
心理的安全性の構築のために重要なのが「聞くこと」です。「どの意見も大切にしますよ」という姿勢で聞くことによって関係性が築かれていきます。まず自分の聞き方を見直し、「聞き下手」を自覚することが必要になるわけです。
ダメな聞き方になっていないか?
たとえば、新人や後輩に対してこんなことを言ってしまっていませんか?
「いやー、でもね」
「それはちょっと難しいんじゃないの」
「昔やったことあるけど、うまくいかなかったんだよね」
小規模な会議で新しいイベントを発案し、「失敗したら新入生募集に影響する」と言われたこともありました。これは私立だったからですね。
こうやって出た意見をひとつひとつ潰していって、結局「前例」に従うことが結構ありました。「前例」に従っていれば、とりあえず大きな失敗はないかもしれません。しかし良くなっていくことはありません。先細りするだけです。
指導法・教授法もそうですし、生徒募集のやり方もそう。体育祭や文化祭だって、去年に倣っているうちは、去年以上のものはできないのです。そうやって先細りして規模が小さくなっていくのに、「今年も成功でしたね」と言って現実を見ないフリをするのは情けないことです。
会議を見直せ
そして、教員同士でお互いに「聞く」ということを習慣化するには、会議の見直しが必要であると思います。会議、うまくできてますか……?
終わりの時間を明記しない職員会議
私のいた学校は致命的に「職員会議が下手」でした。
一般企業に就職してよくわかりました。
「終わりの時間を明記していない会議はクソです」(七海建人@呪術廻戦 ツダケンボイスで再生してください)
しかし月一回の職員会議がこれでした。
資料を読むだけの説明、する必要ある? わざわざ全部読み上げて、「質問はありますか」「なければこれで決定となります、資料の『案』を消してください」の繰り返し。
先に資料を配っておいて読んでもらい、それについて意見を募ればいいのに。
もっと言えば、メールで全部資料を配っておけばいいのに。(紙資料でした)
ほんとうに、時間の使い方が下手だったと思います。
「みんなで決めよう」は聞こえが良いだけ
これは前述の「ナベブタ式」と大きくかかわっていると思います。
つまり、「みんなで話し合って、みんなで決めよう」という体裁が良いと勘違いしているのではないかということ。
「決裁は校長の役割だけど、そこに至るまでの話し合いはみんなでやろうね」というもの。みんなって誰? 全員!?
その結果、職員会議は「発言もせずに座っているだけの人がほとんど」という状態に。
「みんなで話し合う」はずの会議が、逆に個々の意見を尊重しない形になっているのです。
ダメな学級会じゃないか……!
後になって「発言しなかったんだから賛成でしょ」と言われそうなやつ……!!
ダメな学級会しか運営できない先生が多いから、職員会議もダメな学級会の延長ですよね。
いや逆か。ダメな職員会議しかできないから、ダメな学級会しか運営できないのか。
いずれにしろみっともない話です。
発見させ、発言させるほうが身につくのは生徒も教員も同じ
出た意見にひとつひとつコメントしていくより、相手に「発見」させ、「発言」させるほうが絶対に相手のためになる。そして学校の可能性につながる。
アウトプットをうまく引き出してやる方がいいんですよね。
だから、まず聞くことが大事。
- 遮らない
- 能動的に聞く
- どんな意見も馬鹿にしない
- 聞いているふりをして次に話すことを考えない
これを意識するだけでも随分違います。
4つ目を排除するのは先生にはなかなか大変かもしれません。でも、やらなければいけません。生徒に対しても、後輩・新人に対しても。
「あなたの意見を聞いていますよ」というメッセージ
「あなたの意見を聞いていますよ」というメッセージを発信するには、小規模なミーティングや面談が大切です。そして「雑談」も。とにかく中堅層以上の先生は、職員同士で「聞く」「受け入れる」ことを徹底してやるのがいいと思います。
児童生徒の対応で、そんな暇はない!と思うかもしれませんが、それでもです。会議の無駄を省くだけでも時間は捻出できます。
そうやって上司・先輩との関係性を築いていかないと、どんなに「子どもたちのため」と言っても、いったん離職を考えた教員を止めることはできません。
離職を報告しにきた教員に「情熱はないのか!」と言ったところで、もう無理です。
だから、まずは職場環境を整えるところから。授業時間数や残業の軽減、校務分掌のスリム化といったことももちろん必要ですが、別の観点からできることもあるのです。
心理的安全性と教員育成法【後編】〜現行の新人育成方法の問題点〜に続きます!